名古屋地方裁判所 平成7年(ワ)982号 判決 1997年7月25日
原告
名城興産株式会社
右代表者代表取締役
木村正夫
右訴訟代理人弁護士
片山主水
同
中山敬規
被告
滝川勝二
右訴訟代理人弁護士
岡本弘
主文
一 名古屋地方裁判所平成六年(手ワ)第五七号為替手形金請求事件につき同裁判所が平成七年三月一六日に言い渡した手形判決を取り消す。
二 原告の請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告
1 名古屋地方裁判所平成六年(手ワ)第五七号為替手形金請求事件につき同裁判所が平成七年三月一六日に言い渡した手形判決を認可する。
2 異議申立後の訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告
主文同旨
第二 当事者の主張
(請求原因)
一 原告は、手形判決添付の別紙手形目録記載の為替手形九通(以下「本件各手形」という。)を所持している。
二 被告は、本件各手形を引き受けた。
三 本件各手形は、その各支払期日(満期)に支払場所に呈示された。
四 よって、原告は、被告に対し、本件各手形金合計一億二四七〇万円及びこれに対する各満期日である平成四年七月七日から右支払済みまで手形法所定の年六分の割合による利息の支払を求める。
(請求原因に対する認否)
一 請求原因一項の事実は不知。
二 同二項の事実は否認する。
被告は、本件各手形につき、これを手形であると認識しないで署名押印したものである。
三 同三項の事実は不知。
(抗弁)
一 被告は、横井俊彦から、土地売買に必要であるとして、あるいは、土地売買の税金対策であると騙されて、多数の書類に署名ないし押印したところ、その中に本件各手形が含まれていたが、被告の引受の意思表示は、右誤信に基づく錯誤によるものであるから、無効である。
二 仮に、錯誤無効といえないとしても、被告の引受の意思表示は、横井俊彦の詐欺に基づくものであり、かつ、原告は、右詐欺の事実を知っていたから、被告は、本訴において、右引受の意思表示を取り消す。
三 被告の引受の意思表示は、真意に基づかないものであり、かつ、原告は、そのことを知っていた。
四 被告は、支払期日欄等白地の本件各手形に引受署名したものであるが、原告が被告の引受署名から三年以上経過して支払期日等を補充したことは、合意による補充権を逸脱しており、また、補充権の濫用である。
(抗弁に対する認否)
抗弁一ないし四項の事実は、いずれも否認ないし争う。
第三 証拠関係
証拠の関係は、本件記録中の証拠目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 甲第一ないし第九号証の各一、二の存在及び原告代表者本人尋問の結果によると、請求原因一項の事実を認めることができる。
二 甲第一ないし第九号証の各一、二の本件各手形の引受欄の被告名下の印影が被告の印章によって顕出されたものであることは、当事者間に争いがないところ、次に、右印影が顕出された経緯について検討する。
甲第一ないし第九号証の各一、二、乙第一三ないし第二一号証の各存在、成立に争いのない乙第八、第一〇、第一一、第二六号証、第四二ないし第四四号証、第五〇、第五一号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第一二号証、第二七ないし第二九号証(ただし、いずれも後記認定に反する部分を除く。)、第四五ないし第四七号証、第五二ないし第五四号証(ただし、いずれも後記認定に反する部分を除く。)、弁論の全趣旨により成立を認める乙第九号証、証人横井俊彦の証言(ただし、後記認定に反する部分を除く。)、原告代表者本人(ただし、後記認定に反する部分を除く。)及び被告本人の各尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、次の事実を認めることができ、前記乙第一二号証、第二七ないし第二九号証、第五二ないし第五四号証の各記載、証人横井俊彦及び原告代表者本人の各供述中、右認定に反する部分は、前掲各証拠に照らしたやすく信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
1 被告は、昭和一二年六月一日生まれで、中学卒業後、家業である農業を父親の滝川拾蔵と共に営んでいたが、その後、永和農業協同組合に一三年一〇月間勤め、単純労働に従事した後、昭和五五年三月一日から佐屋町永和支所に職を得て、同支所において、佐屋町役場の本所へ行って通知文書等を貰い、支所管内の各戸に同文書類等を配達する単純な労務に従事するかたわら、農繁期には、家業である農業を行っていた。
2 滝川拾蔵が、昭和六二年一二月二日、死亡し、相続問題が発生したが、昭和六三年五月、同人の相続人である被告及びその母と兄弟間で、遺産分割協議が成立し、被告は、海部郡佐屋町大字大井字七川北七九番、田九一二平方メートル及び同所八一番、田六四六平方メートル(以下「八一番の土地」という。)等の農地を相続し、同年五月二五日受付をもってその旨の所有権移転登記を経由した。
3 被告は、遺産分割協議が成立し、相続登記も完了したことから、相続税の支払資金、家の修繕費用、娘の結婚費用等を賄うため、八一番の土地を売却しようと考えたが、同土地は、農業振興地域の整備に関する法律に基づく農用地区域に指定されており、かつ、公道に接していないため、宅地転用が不可能であった。
4 被告は、昭和六三年六月頃、前記拾蔵の遺産相続に関心を寄せていた被告の叔母である高田すま子から、どのような相続登記ができたか知りたいので、登記済証を持参するように言われ、登記済証を右すま子のもとに持参し見せたところ、右すま子が、必要なときには返すから、暫く登記済証を預かっておくと言ったので、被告は、登記済証をすま子に預けた。
5 その後、被告は、八一番の土地を農地の状態でも、坪(3.3平方メートル)当たり七万円ないし七万五〇〇〇円、総額一五〇〇万円程度で売却したいと考え、昭和六三年夏頃、永和農業協同組合の課長である加藤保に相談し、購入希望者を探してもらったところ、津島市内の不動産業者である平野某らが売買交渉に来たりしたが、契約成立までには至らなかった。
6 さらに、被告は、昭和六三年秋頃、加藤保から、土木関係の業務を営んでいる城俊彦(現姓横井、以下「城」という。)を紹介されたので、城に対し、八一番の土地が宅地転用できない土地であることを説明した上、坪当たり七万五〇〇〇円で売却したい旨申し向けると、城は、買手として農業者を探すことを被告に約束した。
7 被告は、その後、加藤保と共に、城と二回目の売買交渉の機会を持ったが、その際にも、被告は、「八一番の土地を農地のまま坪当たり七万五〇〇〇円で売りたい」旨告げると、城は、「農家を探す。どうしても買手が見つからん場合には、私が買います。勿論お金は自分で払うが、名義は直ぐには変わらないかも知れないが、あなたは田を作っていてもらえばいい。とにかく百姓をする人を探す。」と言って、買手を探すことを請け合った。
8 被告が城と三回目の売買交渉の機会を持った際、城は、被告に対し、飛鳥村に買受希望者が二人いるので、売買交渉を進める予定である旨申し向けた。
9 そこで、被告は、売買に備えて、直ちに、高田すま子方に前記登記済証を返してもらいに行った。
右登記済証の返還を受ける際、被告は、高田すま子に対し、土地を売ることは話さなかったが、被告の内心を察した右すま子から、「土地を絶対売ってはいかん。」と執拗に言われ、八一番の土地を売却することを躊躇し始めた。
さらに、被告は、佐屋町に所在する八一番の土地(農地)を飛鳥村に在住する者が買い受けることができるか疑問に思い、近くに住む農業委員に尋ねたところ、同農業委員から、「それはできない。その不動産屋の話はおかしい。」と言われたため、城に対し、八一番の土地の売買交渉ないし売買仲介の話を断ることにした。
10 その後、城が被告方を訪れた際、被告は、城に対し、高田すま子から土地を売ることを諌められたことを理由に八一番の土地の売買仲介を撤回したい旨申し入れると、城は、急に怒り出した。さらに、被告が、飛鳥村に在住する者が八一番の土地を買い受けることはできないとも言うと、城は、被告に対し、被告を知り合いの暴力団事務所へ連れて行って暴力を加えるかのように受け取れる言辞を弄したため、被告は、売買仲介の話を断ると、何をされるかも分からないと畏怖して、沈黙してしまった。
そこで、被告と城は、喫茶店に場所を移して、話し合ったが、城は、被告に対し、「近くの農家で買ってくれる人を探してくる。その代わり坪七万円位にしかならんかも知れんぞ。」「また来る。」と言い残して、その日は帰っていった。
11 昭和六三年一一月頃に至り、城は、買手が見つかったので、売買契約を締結する旨被告に連絡してきた。
そこで、被告は、その頃、加藤保にも立ち会ってもらって、喫茶店で、被告、城、加藤保の三名が、売買交渉をしたところ、城は、八一番の土地を「自分が買う。名義は今変えなくてもよい。五、六年経てば名義が変わるようになる。それまで、被告が耕作していればよい。坪一〇万円だ。」と申し出て、用意してきた契約書に被告の署名押印をさせて、同契約書の一通を被告に交付した。なお、右売買契約書には、売主・被告、買主・城、売買物件・八一番の土地、代金・坪当たり一〇万円と記載されていた。
さらに、城は、八一番の土地の名義が変わるようになるまで、被告において同土地を耕作してよい旨の念書を作成し、これを被告に交付した。
なお、城は、右のとおり売買契約書等を作成したが、同日、城は、被告に対し、手付金等名目のいかんを問わず、一切の金銭を交付しなかった。
12 右売買契約書等作成後、二週間位経過して、被告は、城から、手付金を支払うから受取りに名古屋まで行ってくれとの連絡を受けた。そこで、被告は、加藤保に対し、城から手付金を受け取ってくれるように依頼した。そして、加藤保は、城と共に原告の事務所に赴いたが、原告代表者から、書類が不備なため、金は出せない旨言われ、結局、加藤保は、城から、手付金を受け取ることができなかった。
13 昭和六三年一二月に至り、城が手付金を支払う旨被告に連絡してきたので、被告と加藤保が、被告の勤務先である佐屋町永和支所で待機していたところ、城は、五〇〇万円を持って現れ、五〇〇万円を被告に交付して帰った。
14 右五〇〇万円を受領した数日後、城は、被告に対し、先日作成した売買契約書に間違いがあったので、訂正したい旨申し入れてきた。そこで、被告が、売買契約書及び念書を用意して待っていると、城が現れたが、城は、その場で訂正を行わず、印章を持ち合わせていないと言って、右売買契約書及び念書を持ち帰ってしまった。その後、城は、被告に対し、右売買契約書及び念書を返還しないで現在に至っている。
15 その後、城は、被告に対し、八一番の土地の売買契約につき契約書どおりに申告すると、高額の税金が課されるので、税金逃れのための対策を講ずる必要があると言い出すようになった。そして、城は、昭和六三年暮頃から平成元年初め頃にかけて、被告の勤務先である佐屋町永和支所を訪れ、被告に対し、「売買契約のための書類だ。税金対策で必要だ。絶対に迷惑はかけん。」などと申し向けて、本件各手形のほか、多数の書類を持参し、その内容を全く説明しないまま、また、その内容を読む暇も与えず、記載事項のみを指示して、売買契約や税金対策のための書類であると信じ込んでいる被告に、署名ないし押印をさせ、その書類の控えを原告に交付することもなく、これを持ち帰った。
16 被告は、本件各手形の引受欄に署名ないし押印するまで、手形を見たり、手形を使用したりしたことは全くなく、また、被告は、本件各手形に署名ないし押印した当時には、かなり老眼が進んでおり、細かな文字の判読が困難であったのみならず、前記勤務場所には老眼鏡を置いていなかったため、老眼鏡を用いてその内容を確認するということもできなかった。
このように認めることができる。
三1 右二項認定の各事実によれば、被告は、本件各手形の引受人としてこれを引き受ける意思は全くなく、かつ、本件各手形は、城から、八一番の土地の売買契約ないしその税金対策に必要な書類であると言われ、これを信じた被告が、その内容を十分確認することなく、本件各手形に署名ないし押印したものと認められ、また、被告と城との間の八一番の土地の売買契約は、六四六平方メートル(一九五坪)の農地を坪当たり一〇万円で売却するというもので、その総代金は一九五〇万円にしかならないのに、被告が本件各手形の合計額面金額一億二四七〇万円に見合う引受行為をする実質的な資金関係は被告と本件各手形の振出人である城との間に存しないことが認められ、これに加えて、被告は、二項16認定のとおりそれまで手形を見たり、あるいは手形行為を経験したことは全くないというのであるから、被告の本件各手形の引受欄への署名ないし押印は、被告に本件各手形の引受をするという認識が全くなくしてなされた疑いが極めて高いものというべきである。
そうすると、本件各手形の引受欄には、被告の署名ないし押印があるから、その引受欄は被告の意思に基づいて作成されたものと推定されるが、右認定の事実経過に照らせば、右推定は破れたものというべきである。
2 右認定に対し、原告代表者本人は、本件各手形の中には、被告が原告の事務所において、署名ないし押印したものと、右事務所以外の場所で被告によって署名ないし押印されたものとがあるが、同代表者は、被告に対し、本件各手形の引受についての意味をよく説明し、被告に引受行為をさせた旨供述する。しかしながら、前記乙第五四号証によれば、原告代表者本人は、別件訴訟において、被告が同代表者の面前で本件各手形に署名ないし押印したことはない旨供述していることが認められ、この事実に、前記乙第四五ないし第四七号証及び被告本人尋問の結果を照らし合わせると、右原告代表者本人の供述は、たやすく採用することができない。
さらに、証人横井俊彦は、城は、本件各手形を担保として原告に差し入れ、あるいは、本件各手形の割引を原告から受け、そのうち、手形判決添付の別紙手形目録記載の為替手形一に相当する二〇〇〇万円ないし借入金または割引金相当額を被告に交付したので、被告においても、本件各手形の引受行為の意味を理解していたかのように供述するが、二項13認定のとおり、被告が八一番の土地の売買契約名下に城から交付を受けた金員は手付金の五〇〇万円のみであり、被告がその他に城から金員の交付を受けたことはないとする前記乙第四五ないし第四七号証の各供述記載及び被告本人尋問の結果に照らすと、右証人横井俊彦の供述はたやすく信用することができない。
3 以上によると、被告の本件各手形の引受欄への署名ないし押印は、被告において、それが手形であることを認識せず、かつ、本件各手形の引受をするという認識が全くなくしてなされた疑いが極めて高いものというべきであるから、その引受行為はなかったものと評価するのが相当である。
そうすると、原告の本件各手形に基づく金員請求は、理由がないものというべきである。
四 以上の次第で、原告の本件各手形に基づく金員請求を認容した手形判決は、相当でないから、これを取り消し、原告の右請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官玉田勝也)